『昔話の深層』
河合隼雄
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昨今、健康ブームからか自転車通勤やおしゃれ自転車で街へ繰り出す方が多く見受けられます。
突然ですが、最初に自転車に乗れた日を覚えていますか?最初からすぐに乗れたという人はほとんどいないでしょう。
ではどのように乗れるようになったのか思い出して下さい。
私の場合は、父親に手解きを受け乗れるようになりました。
父は乗り方や自転車の仕組みを一応説明してくれましたが、あまり重要視せずサラッと流し、続けてこう言いました「後ろを押さえてやるから、とりあえず信じてこいでみろ。うしろを振り返るな、とにかく前だけ見てこぎなさい」と、私は言われた通りに無我夢中でこぎ続け、ついには「乗る」ということを体で感じました。
もちろん父親は最初しか押さえてくれておらず、途中からは自力で乗っているわけですが、私は終始父親が押さえてくれていると信じ、その安心感で乗れるようになり、「乗る」ということを体で覚えたわけです。
最初に申しましたが、自転車の仕組み、ペダルのこぎ方、ハンドルの持つ角度などなど…自転車に乗るためにマニュアルを読んで、これらをいくら理解しても、スイスイ乗れるようになるわけではありません。乗れるようになってから、それらの事柄を知識として知っている方が理解も深まりますし、人に教える時にも説得力が増すと思います。
肝心なのは「乗る」ことであり、乗れることで初めて「乗れる人たち」の言っていることが理解出来るというものです。
仏教も同じで、実は法華経に「教えの表面は理解できるかもしれないが、そのすべては仏と仏にしか理解できない」と明記されているのです。(方便品第二)つまり私たちが「乗れる」ようになるためには、すべてをお釈迦様に委ね、必死にこぎ続け、仏の世界を感じていくことが一番確実で近道なのです。
仏教の勉強はそれからでも遅くはありませんし、実はそれからの方が理解度は上がるものなのです。
とりあえず今から「南無妙法蓮華経」と唱えてみてお釈迦様を感じて下さい。
キーポイントは“信じきる”事です。