我れ日本の眼目とならむ
『開目抄』
文永9年(1272) 51歳
大震災以降、私たちはうつむきかげんになってしまっています。しかし、眼を開けば「上を向いて歩いて下さい」と桜が咲き微笑み、励ましてくれています。自然は過酷でもありますが、優しくもあります。
日蓮聖人は法華経の信仰に目覚められ、地涌の菩薩としての眼を開かれました。それは正義を尊び邪悪を除こうとする行動となりました。その姿について語られたのが本書です。
「眼目」とは、真実を見通す智慧、あるいは、過去、現在、未来の有り様を見通す仏の眼でもあります。聖人は、この「眼目」を用い、社会、国家の進むべき指針を示す人になることを誓願なされました。
鎌倉時代、私たちの国は、自然災害と混沌とした社会の真只中でした。聖人は、未曾有の大災害には、未曾有の教えが必要であると考えられ、建長五年(一二五三)四月二十八日に立教開宗され、この世界をそのまま浄土に導こうとされたのです。私たちも前を向きながら、聖人の心とともに力強く生き抜き、未来を切り開いて行かなければなりません。
妙福寺あれこれ | Comments(0)