法華経は釈迦牟尼佛なり。
『守護国家論』
正元元年(1259)38歳
節分が訪れると「鬼は外。福は内」の祈りを、誰もが心に思いうかべます。震災から一年たとうとしている今日、この祈りは、より大きく、深いものでしょう。
日蓮聖人のご生涯は、一切の人々を救い、その幸せを願い、国土の安穏を祈りつづけたものでありました。
その祈りのためには釈尊そのものである法華経によらなければならないと日蓮聖人は本書で明示されたのです。
法華経は釈尊の身体と等しいのですから、法華経の前では釈尊と対面していることになります。釈尊は、法華経で「一切の人々を、我の如くして異なることがないようにします」と誓願なされました。私たちはこの誓願に応えて、慈悲に満ちた釈尊の笑顔を鏡のように映しとっていかなければなりません。
これは、苦しいときも、楽しいときも、災害のときも、平穏なときも、全ての事柄を釈尊と同じ目で見て、同じ心で受け止めるということです。ここに救済と安穏が始まるのです。
妙福寺あれこれ | Comments(0)