『昔話の深層』
河合隼雄
妙福寺トップページ > 妙福寺PRESS > 妙福寺あれこれ > 今月の聖語(平成23年1月)
2011/01/31
連日のアジアカップのおかげで昼夜逆転というか寝不足気味です。さほどサッカーに詳しくない私でも、チームとして素晴らしいまとまりを感じ、一丸となって戦う様子に思わず最後まで見てしまったわけです。
決勝のオーストラリア戦終了後に長谷部誠選手は、
「チームがひとつにまとまって、こういう苦しい大会を制したというのは、若い選手にとっていい経験にもなったと思うし、本当に良かったと思います。ただ、これは所詮アジアレベルなので、世界と戦うときに、もっともっと個々の能力を上げていかないと勝てないと思う。そういった意味で課題も見えたので、各チームに戻ってやっていきたいと思います」
とコメントしています。
強豪と呼ばれるチームは、チーム全体としてのまとまりは必須であると思いますが、そのチームを構成する選手個々の能力アップ、さらに各々の役割意識というものが重要ではないかと思います。いくらチームワークが良くて意思疎通が出来ていても、何事も人任せでは全体としてのレベルアップは成り立たないわけです。さほどの影響を与えないかもしれませんが、各々が与えられた役割を全うし、努力する事で、初めて全体としてのチームが大きく躍進するものと思います。
日蓮聖人は「全体と個」に関して〝唱法華題目鈔〟でこのように述べています。
〜文応元年(1260年)三十九歳〜
『一滴の水 漸漸に流れて大海となり 一塵積りて須弥山となる』
大海に比べれば、その一滴はごくごく小さな存在である。しかし存在は大海の一滴であっても、その一滴一滴がより集まって構成するのが海である。つまり微量の一滴なしでは大海は存在しないという事。とても小さな存在が、とても大きな存在を成り立たせているのだから、その小さな存在は、途方もなく大きな価値と意義があると考える。私たち一人一人はとても小さな存在かもしれないが、ただひたすら自分の出来る事を一心にやり通す事で、大きく成し遂げる事が出来る。
「為す者は常に成り、行う者は常に至る」
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