先日お通夜の際、同席した方からこんなお話を聞きました。
その方は60代男性です。
ちょうど1年前にくも膜下出血を発症し、生死の境を彷徨ったらしいのですが、どうにか半年の入院とリハビリを経て、現在は元気に生活されています。
入院した直後は半身に麻痺があり、自分でも思い様に生活出来なかったと言います。
その方は教職に就いており校長などを歴任された、なかなか厳格な方でした。
自分の体が思う様に動かない、トイレや寝起き、食事など家族の助けを借りないとままならない事に苛立ちや不安が募り、見舞いにきてくれる家族に怒りをぶつけてしまう、しかし家族が帰った後に後悔の念が込み上げ、自己嫌悪に陥るといった状態だったと話してくれました。
家族のお見舞いには感謝をし、有難いと思っているのに、どうしてもイライラが抑えきれず悩んでいました。
しかし、ストレスがピークに達したある時「自分は今、助けがなければ何も出来ない」という事実を認めた瞬間、緊張の糸がフッと切れたように気持ちが楽になったと言います。
家族に介助してもらう事に抵抗がなくなり、出来ない事、やってもらいたい事を素直に伝える事ができ、生涯の中で一番楽させてもらった時間でした、と笑って話をされていました。
仏教には「忍辱(にんにく)」という言葉があります。
言葉からすると、外からのプレッシャーやストレスを耐え忍ぶ、というイメージに感じるかもしれませんが、本当に耐え忍ぶべきなのは外圧ではありません。
私たちが一番見たくない所、つまり自分自身の出来ない事や足りない部分を見つめ認める、というのが「忍辱」の意味になります。
私たちは、どうしても人のダメな部分はすぐ目につき、非難しがちです。
一方、自分のダメな所は見えづらく、また気づいても直視しようとしません。
そこを周りから指摘されようものなら、素直に認める事が出来ず、反発しイライラしますよね。また不安に襲われ焦りが生じるかもしれません。
お通夜の時に、笑い話として話してくれた男性も、今まで出来た事が病気によって突然出来なくなり、自分が今は介助がなければ何も出来ないという事実を認められずにいる時は、本当に苦しい思いをしたと察します。
私たちは、自分の知らない事や出来ない事を直視できずにいると、虚勢を張ったり、無理な自信を振り回し、ますます心が疲弊する方向に向かっていくでしょう。
しかし、自分の出来なさやダメなところを認めた時、本当に強い心が生まれます。また、認められた瞬間から本当に心が楽になります。
日本人はよく真面目だと言われます。
とても良い事だと思いますが、ともすると自分の出来なさを周りに伝える事に恥を感じている節もあるのではないでしょうか。
自分自身で解決しようと問題を溜め込んでいくと、ストレスフルになり自分にも周りにも悪影響を及ぼします。
もう少し心をオープンにして、楽に考えても良いのではないかと思います。
4月は環境の変化や対人関係の変化と、何かと心が乱れやすい季節です。
このような時期こそ、自分と向き合い素直になってみましょう。
足りない所は認め、周りに協力をお願いし、分からない所は素直に教えてもらいましょう。
そして、笑顔で感謝を忘れずに。
これだけで心は楽になり、周囲と楽しく年度のスタートを切る事が出来ると思いますよ。
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