『昔話の深層』
河合隼雄
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2019/07/26
東京はお盆が無事に済み、もうすぐ田舎はお盆の時期になります。
お盆は実家に帰省し、お墓参り等をしながら親戚や家族とゆっくりとした時間を過ごす、
そんな方が多いのではないでしょうか。
花火や夏祭り、蚊取り線香の香りと色々な情景が浮かびます。
まさに夏の風物詩といった感があります。
昔から親しまれている「お盆」ですが、本当の所どんな意味があるのでしょうか?
せっかくなので、これから訪れるお盆を前に、少しおさらいしてみたいと思います。
お盆の由来を振り返りますと、お釈迦様の十大弟子、目連尊者(もくれんそんじゃ)の説話に由来すると云われています。
神通第一(じんづうだいいち)といわれた目連さんがある時、その神通力で※餓鬼界(がきかい)を覗くと、なんと自分の母親が逆さ吊りで苦しんでいる姿を見てしまいました。
※餓鬼界とは・・・人が生まれ変わる時に赴くとされる、十の世界の一つ。ご飯を食べようとしても、目の前で食べ物が燃えてしまい口に出来ない、等々。求めても求めても何も手に入らず、ずっと飢えの苦しみを味わう世界を表します。
どうにか救いたいと考えた目連さんは、師匠であるお釈迦様に相談しました。
するとお釈迦様は、このように答えます。
「目連、あなたの母親は生前、金品や食べ物等、誰にも分け与える事なく自分の為だけに求め続けました。その結果、死んだ後に餓鬼界に落ち、求めても求めても満足出来ない苦しみを味わっているのです。それを救う為には、僧侶達が雨期に一カ所に定住し、修行に専念する安居(あんご)の最終日に、全員が集まり修行の反省や罪の懺悔(さんげ)をする自恣(じし)という修行がある、その時に食物などの布施をすれば、その功徳によって母親は救われるだろう。」
その教えを聞いた目連さんは、教えの通り安居の最終日である7月15日に僧侶達へ様々な布施をして母親を救う事が出来ました。これに習い7月15日(地方は8月15日が多い)に先祖供養をする風習が生まれ、お盆行事として親しまれるようになりました。
さて、7月15日を自恣の日(大反省会)としますが、この自恣の日に施す、ご飯を「盂蘭(うら)」と言います。
その盂蘭を乗せた盆(鉢、器)を「盂蘭盆」と言い、これが短く略され「お盆」というようになりました。
つまり盂蘭盆とは「器にお供えのご飯を盛った状態」の供物を表しているわけです。
この説話の様に、死後に餓鬼界に落ちるかどうかは別としても、私達の日常を見つめ直す、良い気づきを与えてくれる行事ではないでしょうか。
例えば、洋服は既に十分持っているのに、ついつい新しい服を買ってしまい、買っても買っても満足出来ずに買い続けたり、お金や物、その他色々なものを独り占めして、周りには渡さない等々。
そんな人を見かけた事はありませんか?
この様な状態は、肉体は生きていますが、心は餓鬼界に落ちていると言えます。
求めて手に入れても、そこに満足出来ずに更に求めてしまう、この状態は何も手に入れていないのと同じです。
あたかも、目連尊者のお母さんが食べ物を口に入れる瞬間、食べ物が燃えてしまい、ずっと食べられず飢えている状態に近いのかもしれません。
他人事ではなく、私達も日常でよく陥りがちな心の状態ではないでしょうか?
自分で自分の心の状態に気づくというのは、なかなか難しいですが、とても大切な事です。
もし、新しい洋服が欲しくなったら、少し心を落ち着かせる時間を持ちましょう。
「本当に今この服は必要か」と。
もし、必要以上にモノを持っていると感じたら、周りとシェアする事を考えましょう。
心の赴くままに行動したり考えたりするのではなく、一瞬の落ち着きを持てるか否か、がとても大切になります。
落ち着いて良く考えてから、何かを求める。
自分の持っているモノを人とシェアしようと考える。
その時、あなたの心は既に餓鬼界から立ち去っています。
お盆は田舎に帰り、お墓参りをする方も多いと思います。
お墓参りの時、ご先祖様への感謝を伝えるとともに、
自分の日常を振り返るきっかけにしてみてはいかがでしょうか?
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