『昔話の深層』
河合隼雄
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2012/01/26
お経ってなんで沢山あるの?どのお経が正しいの?本当に全部お釈迦様の言葉?
皆さんこんな疑問をお持ちじゃないでしょうか?良く質問される内容です。
実はこの疑問に、仏教を知るた〜いせつなヒントが潜んでいるのです。
ご存知の様に、世界三大宗教と呼ばれる仏教・キリスト教・イスラム教の中で、仏教だけがダントツに経典数が多いです。しかも内容も対象も様々。矛盾してんじゃないの?っていう内容もザラです。
実はこの違いは、宗教における病気の治し方の違いによるものなのです。
お医者さんが行う医療行為の目的は健康な体を手に入れる事です。
では宗教の目的は?
それは人間の利己心(自分勝手な考え)を抑える事なんです。
キリスト教・イスラム教は唯一絶対的な神が存在し、人間の行動が神によって制限される事で、強制的に利己心を抑え込みます。
それと対象的に、仏教では自分自身と向き合い、自分で利己心を抑え込みます。
一神教と言われる宗教において、絶対的な神から処方される薬は一種類しか存在しません。みんな黙ってそれを飲みます。
仏教の場合は、お釈迦様が人に合わせて薬を調合して処方しました。みんなはその薬を飲んで、自分で治していくのです。
利己的な心に効く薬なんて、人それぞれ違うのが当たり前です。人が違えば悩みも違うし、環境や時代が違えばまた違った処方が必要になります。つまり人の数だけ教えも存在し、教えが多く存在したから、経典も数多く存在したというわけです。
では、こんなに多い経典で何が正しくて、本当に全部お釈迦様の言葉なのか?という事ですが、それを探る為には大切なポイントがあります。
まずその教えは本当に薬なのか?という事です。
お釈迦様は2500年前に自力で健康を手に入れました。そして周りの人々にも健康な状態を教えてあげたいと思いましたが、健康そのものを手渡しする事は出来ません。
ではどうすれば良いか?
それは健康になる為の薬を処方し、みんなが薬を飲んで自力で健康になる手伝いをすれば良いのだと考えたわけです。
これの大切な所は、お釈迦様がみんなを健康にする為に薬を処方したという事で、目的が健康を手に入れるという方向に向かっているから「薬」になるわけです。
「善く説かれたものは何であれ仏説である。」
この教えが示す様に、それが薬であれば、それら全てはお釈迦様の言葉であるという事です。
しかし、反対に目的が健康を手に入れる為のものでなければ「毒」になってしまいます。
一見するとお釈迦様の教えのような面をしていても、方向性が欲望の増幅であれば偽物という事です。「収入が増えますよ~。」「地位や名誉が手にはいりますよ~。」的なものは完全に利己心を焚き付けているのがお分かりだと思います。
そしてさらに注意すべきは、良い薬であっても薬はあくまで健康を手に入れる為の手段であり、いつまでも執着してはいけないという事です。
病気が治り体の状況が変わったのなら、薬も変えなければ毒になってしまいます。熱が下がっても解熱剤を飲み続けたら、逆に体調を崩してしまうように。
つまり大切な事は、その教えが健康を手に入れるという目的に向かっているという事、そして今の自分に必要な薬であるという事です。
方向がしっかり健康を手に入れる為のものであれば、それらは全てお釈迦様の言葉であり、自分の現状に合っている処方であれば、それはすべて正しい教えという事になります。
表面的には尤もらしい教えは世に溢れていますが、どこに向かう為の教えなのか・・・。
よくよくご注意を。
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