『昔話の深層』
河合隼雄
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2011/10/12
東急池上線もいよいよ「お会式」一色になってきました。10月13日は日蓮聖人のご命日。この日を「お会式」と呼んで、お寺では報恩法要を行います。圧巻なのがその前日、12日の夜なんです。
池上本門寺の参道いっぱいに出店が並び、その中を威勢の良い太鼓やら纏やらが通過して賑やかにお寺を目指します。池上界隈では秋の風物詩で、何万人もの参拝客や見物客が訪れる大イベントです。
さて、お寺には付きものの“参道”ですが、お寺によって長い短いの差はあれ必ず存在します。路面に面しているお寺であっても、お堂までの距離があり、そこを歩いて行って、お堂の前でお賽銭をポンッ。合掌。結婚できますように!とお祈りすると思います。実は、お寺にとってこの“参道”には、とっても大切な意味が込められています。もちろんお参りに来た人が、イザお寺!って心を整える時間でもあるのですが、実はもう一つ隠れた意味があります。
それを話す前に、お寺って何する場所だと思いますか?法事したり、祈願したり、修行したり、勉強したり・・・色々役割はありますが、強引にまとめるとお参りに来る前の自分を捨てて、新しく生まれ変わる場所って事なんです。お寺で時間を過ごし、新たな自分に生まれ変わって、また来た道を通って家に帰っていくんです。お寺ってのは、新しい自分に生まれ変わる場所なんですよ。
気がつきました?そう、もう一つの意味は“産道”なんです。
産道を通って、お母さんのお腹へ戻るが如く、仏さんのもとへ行き、仏さんの前で世間的な“地位”“名誉”を全て捨てて、一度スッピンになり、また産道から生まれて帰っていく。これが参道の隠された意味なんです。
すっかり涼しくなり散歩にはもってこいの季節です。モヤモヤしたり、スッキリしない時は、そんな事を思いながらお寺にお参りにいってみてはいかがですか?
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