『昔話の深層』
河合隼雄
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2010/12/31
年末、夜の静けさをやぶってつき鳴らされる鐘の音は、1年の終わりを告げると共に、新しい年の幕開けを告げる音として私たちに親しまれています。
除夜の鐘、108の鐘ともいいます。108回つくのは、私たちの平静の心を乱す煩悩 の数にちなんでおり、煩悩を洗い浄めて新年を迎えるためにつき鳴らすものです。107点は旧年に108点目は新年につくともいわれます。
煩悩とは、私たちの体や心を悩ませ、かき乱し、煩わせ、惑わし、汚す、心のはたらきをいいます。
私たちが苦しんだり、悩んだりする原因は、私たち自身がもっている欲(我欲)、私たちが何とか手に入れたい、あるいはいつまでも手にしていたいというような目的を達成しようとする心のはたらきによるものです。
煩悩の数え方は色々ありますが、一例を示しますと、私たちに具わっている眼耳鼻口体心などの感覚器官が、色声香などの6つの対象を把握する時には、好と悪と平の3つがあり、まず18となります。
これら1つ1つに染と浄の2つがあって計36となり、これらには、さらに過去、現在、未来の3つがあって、それらをかけると合計108あるとするものです。
ところで、煩悩は大別して根本煩悩(こんぽんぼんのう)と枝末煩悩(しまつぼんのう)とに分けられます。根本煩悩は、あらゆる煩悩の根本となっているもので、むさぼり、いかり、無明、過信、疑い、そして誤った見解の6つをいいます。
このうち、前の5つの煩悩は先天的ともいわれるもので、その中の、むさぼり、いかり、無明(むみょう)の3つは、もっとも基本的なものであるといいます。しかもその中でも無明は根本中の根本の迷いであり、全ての迷いの根源です。
そして誤った見解には、かたよった極端な見解や邪見など5種類あります。これらは後天的なもので、理論的知的なものであり、正しい理解をすれば直ちに除くことの出来るものです。
次に、枝末煩悩とは、根本煩悩に伴っておこる従属的な煩悩をいい、物をおしみ、恥じる心の無いこと、理想に向かって努力しないこと、放逸(ほういつ)など様々なものがあります。
除夜の鐘をつく時には、1年間の自らの言動を振り返り、新年への良いスタートとして頂きたいです。
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