『昔話の深層』
河合隼雄
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2013/09/18
よくお坊さんの法話で、
「信じる心が大切です。」とか
「まずは信じる事からはじめましょう。」
という話を耳にすると思います。
でもいきなり“信じろ”って言われても、正直ムリですよね?!
だって“信じる”って「疑問を挟まずに、とにかく身を委ねてお任せする」というイメージです。
そんな事言われたら、少し引いちゃいますよ。
例えば、初めて会った異性にいきなり「私と結婚して下さい。」と言われているようなものです。「いやいや、まだあなたの事を良く知らないし、色々教えてもらわないと・・・」「大丈夫です!信じて下さい。信じて付き合っているうちに私の良さが分かってきますから」と言われているようなものだと思います。
これでは、本当は良い人(教え)なのかもしれないけど、信じないと始まらないのなら、遠慮しよう。となるのが普通です。
では、仏教で定義する「信じる」って本当にこのような肉食系信心なのでしょうか?
実はここに大きな勘違いが潜んでいます。
仏教にも当然「信心」という言葉は存在します。
インド語には対応する原語がいくつか存在しますが、大別すると
「śraddhā」という、
教義や理論に対し自ら確かめて確信する〈信〉と、
「bhakti」という、
人格神などに対し主観的・個人的に信じる〈信〉が存在します。
仏教では、前者の信心を大切にしています。
つまり、何かの対象に対して「盲目的に信じる」のではなくて「教義や理論を学び、自分の中であれこれ考えて、腑に落ちた時に生じる信」ということになります。
お坊さんが「信心」が大切ですよ。と盛んに言うのは、「様々なものを盲目的に信じるのではなく、自分の頭でしっかり考えて答えを出して下さいね。考えるヒントはお経に沢山散りばめられていますよ。」という意味合いが隠されているのです。
仏教の「信心」は視野が狭くなる心の状態ではなく、視野が広くなり周りが見渡しやすくなる心の状態だという事です。
仏教の信心は、肉食系でも草食系でもない“中道系”なのです。
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