天は賢人をすて給はぬならひなれば
『兄弟鈔』
文永12年(1275)54歳
大震災から一年が経ちますが、いまだに私達の心は、過去の喪失感と未来への不安でいっぱいです。しかし、多くの人々が心をくだき、暗中模索しながら前進しようとしていることも確かです。
三月十一日は亡くなられた方々への追悼とともに、生きている全ての人にとっての「命の日」とし、その重みを共有しなければなりません。
日蓮聖人は、どんなに悲しく辛いことがあっても、天は賢人を捨てはしないと説かれ、暗闇の中に確かな方向を示す光を点されました。では《賢人》とはどのような人間なのでしょうか。ご遺文を拝読いたしますと、頭がよく成績のよい人ではありません。ここで示された《賢人》とは、真実を求め至誠を捧げようとしている人々のことであります。
それはいまだかつてない大震災によって、正しい人間性に目覚め、新たな絆で結ばれようとしている私たちのことであり、このご遺文を読んで下さっているあなたのことです。
今は、この新たな絆をたよりに立ち上がり前進するときです。そんな私たちを天は見捨てはしないのです。
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