『昔話の深層』
河合隼雄
妙福寺トップページ > 妙福寺PRESS > 妙福寺あれこれ > 今月の聖語(平成23年5月)
2011/05/01
をこり候ふか
日蓮聖人御遺文「妙心尼御前御返事」/
建治元年(1275年聖 54歳)
この御遺文は、夫の病を知らせた妙心尼への御返事ですが、本文はむしろ夫の入道に対してのお手紙です。
お手紙の中で「病あれば死ぬべしということ不定なり」と添えられています。つまり、病気だからといって死ぬとは決まっていない、あなた(入道)の病気は仏様の御計らいであり、かえって病気が求道の縁となって道心がおこるであろう、と諭されています。
私たちの心は大変厄介なもので、健康な日々を過ごしていると健康であるという事さえ意識しません。目先の日常生活に忙殺され、〝私が生きている〟という事への反省、自覚、さらには感謝という気持ちが持ちにくいものです。
しかし、ひとたび病に伏せると、コペルニクス的転回を示します。それが重い病の時は尚更です。自己の死に直面し、自己の命や生の何たるかを自覚、反省させられる事により、今まで気がつかなかった平素をありがたく感じるわけです。
病をきっかけに自己の生をしっかりと見つめ、かぎりある〝いのち〟を大切にしようと心に決め養生に努める。これが道心であり、仏様の計らいとする由縁です。つまり入道に対して自己の病を悲観するのではなく成仏への縁にしなさい、との励ましが、このお手紙の内容です。
翻って自分を見つめ直しますと、3月11日に発生した東北地方大地震に端を発する計画停電や節電を経験して、改めて電気の有難さに気がついた次第です。なかなか普段は意識しませんが、駅やお店の過剰な照明であったり冷暖房だったりと、かなりの電力を消費している事に驚かされました。そして今はその状況に慣れ、何の支障も無い事にも・・・。
朝日新聞の紙面で、ハーバード大学マイケル・サンデル教授は原発問題に関して以下の様に語ってます。
「思慮深く、丁寧な議論をすること。絶対に議論を避けてはならない。社会が直面する最も困難な課題について、賛否両派が相互に敬意を持って、公然と討議出来れば、民主主義は深まる。」そして「根本的には、膨大なエネルギー消費に依存する物質的に豊かな生活様式をそうするか?我々がどんな社会に住みたいかという価値観の問題になる。」
原発が維持されるか廃止されるか、とても大切の議論であり、今後の世界の流れにも影響を及ぼす問題だと思います。しかしサンデル教授が言う様に、我々の生活様式も同時に見直さない限り、イタチごっこに終始してしまう気がします。
某都知事の様に「震災は天罰だ」との考えは毛頭持ち得ませんし遺憾ですが、我々と地球の共存に関しては、思慮を深める良い機会なのかなと個人的には感じてます。これも仏様の御計らいと捉えれば、きっと地球はより良い未来が描けるはずだと期待してやみません。
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