『昔話の深層』
河合隼雄
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2015/12/01
今でも一般的に使われている故事です。
しかし、この例え「袖振り合うも多生の縁」と書き表すのが、実は正解のようです。
「他生」や「多生」を「多少」と書くこともあります。
少しややこしいのですが、袖が出てくるのは共通しています。
袖を「振り合う」か「擦り合う」かは、さほど重要ではありません。
道で初めて会ったお互い知らない人であっても、互いに袖を触れ合う様な些細な事であっても、それなりの縁があるものだ、というのがこの例えの意味するところです。
仏教の考え方によれば「他生の縁」とは、すなわち“今生”でない、過去や未来の縁という事になります。
他人同士の偶然の触れ合いも、前の世から今の世を経て、そして後の世に至るまで三世の深い縁が生じるのだ、というものです。
これが「多生の縁」と書くと、少々おもむきが異なります。
「多生」は文字通り、多く生まれることですから、輪廻転生というインド古来の思想につながる言葉になるわけです。〝いのち〟あるものは生まれ変わる、という信仰にもとづき、思いがけない人と人との出会いは、輪廻転生のほんの一コマ、ということになるのです。
前世や来世をどのように捉えるかは別としても、私達は一期一会の出会いを大切にしなければならない、というのが要点になります。
仏教には「縁起」という大切な教えがあります。
これは一般に使われる「縁起が良い悪い」といった話ではなく、私たちを含め全ての存在は互いに影響を与えながら、支え合って存在している、という意味です。
人と人の関係も単なる偶然だと捉えるのではなく、すべて深い関係性によって起こり、また新たな縁を生んでいくものだから、どんな出会いも大切にしなくてはいけないと考えます。
今年出会った方々へ感謝の気持ちを持ち、また来年は、これから出会うであろう方々との出会いを大切に、日々を酔生夢死に過ごさないよう努める。
この様な気持ちで新年を迎えて頂けたらと思います。
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