弘化年間(1844年~1847年)に江戸で活躍した講釈師。本名は柴山常晴。南無谷村の出身で、無本読{むほんよ}みを特徴とした田辺南鶴の門人。南窓もやはり無本で、読み方にも改良を加え、柴田派を興した。古戦記を中心とした修羅場を得意とし、殊に「赤穂義士伝」は日本一の定評を得たという。弘化3年(1846年)72歳で病没。門人柴田南玉らによって、東京高輪泉岳寺にある赤穂義士の墓の傍らに記念碑が建てられている。
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